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Facebookのメタバース構想への懐疑

2021.12.3

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著者: たかはしゆうじ( @jyouj__ )



Facebookという会社は長らくシリコンバレー、ひいては世界中の若き起業家のヒーローでした。少しばかり(?)倫理観の外れた創業者、大学時代のルームメイトとの起業ストーリー、世界に影響を与えるプロダクト、数多くの苦難……。その全てが一種の崇拝の対象、美談で語られることも多々ありました。

映画『ソーシャル・ネットワーク』のヒットからも分かるように、2010年前後のFacebookへの注目度は高いものでした。そんな新進気鋭のテック企業の成功を象徴する出来事が2012年のIPOです。新規公開企業としては過去最大の評価額でした。その後、Googleやマイクロソフト、Appleなどと並ぶビッグテックの一角として数えられるようになります。


しかし、2021年の現在、Facebookに対するアメリカ社会の評価は尊敬・畏怖から憎悪・軽蔑に変わってきているように思えます。影響力のある文化人・コメンテーター、テック業界の大物から大手メディアに至るまで、大手を振って創業者ZuckerbergとFacebookを批判するようになりました。そんな中、Facebookは突如社名をMetaに変更することを発表しました。

いったいFacebookはなぜここまで米国社会からバッシングを受けるようになったのでしょうか。そして生まれ変わったMetaの戦略は人類社会の未来を導いていけるのでしょうか。

目次
#01. Facebook vs アメリカ社会
– 度重なる不祥事
– ウォール・ストリート・ジャーナルの告発
– Metaへの生まれ変わり
#02. 欧米メディアの視点
– 「本質は何も変わらない」
– 「Facebookのメタバース戦略は失敗する可能性が高い」
#03. メタバース世界の行方


#01. Facebook vs アメリカ社会

度重なる不祥事

Facebookは大手テック企業の中で最もと言っても過言ではないほど不祥事に溢れていました。その数はシャーロック・ホームズが解決した事件より多いでしょう。そして、その事件の数々は上場してからのこの10年にさえ頻発しています。コナン・ドイルも全てを取り上げることはできないはずです。

Facebookにとってスキャンダラスな一年は2回ありました。2018年と今年2021年です。2018年度のFacebookスキャンダルマラソンはあの悪名高い“Cambridge Analytica”事件から始まりました。Cambridge Analyticaはトランプ大統領候補の選挙活動に絡んでいた会社で、サードパーティー製のアプリを通じて8,000万人以上の個人情報を不正流用していたことが報じられました。この問題はFacebook社の個人情報管理に議論の矛が向けられ、世間からの不信を顕在化させることとなります。

しかし、これで終わることはありませんでした。数千万人規模のデータ漏洩問題が続けて起こり、非公開データが見られるバグまで出てきました。また、NetflixやSpotifyなどのパートナー企業にユーザーの同意なく必要以上のデータを共有していたことも判明しています。ロヒンギャに対してヘイトスピーチの拡散に使われていたことも批判されています。なお、ヘイトスピーチの拡散プラットフォームとしてのFacebookはこの件の後もたいして矯正される事はなく、2021年の大事件へと繋がっていきます。

Facebookに対する不信感は社内からも見られるようになっていました。象徴的なのが、Facebookが買収した有望スタートアップ創業者の退職です。Instagram共同創業者Kevin Systrom氏、Whatsapp創業者Jan Koum、Oculus創業者Brendan Iribe氏など錚々たる名前が挙がります。

Zuckerbergはこの年をなんとか乗り切りますが、1年でFacebookを見つめる目はガラリと変わってしまいました。かつて社会の変革者だったはずが、気づいてみれば社会のヒールに当てはめられてしまったのです。


ウォール・ストリート・ジャーナルの告発

2021年に入り、Facebookは議会襲撃の扇動などを理由にトランプ元大統領のアカウントを利用停止にしました。これについては賛否両論ありましたが、暴力やフェイクニュースに対する処置としてFacebookが真剣に取り組もうとしているように映った方もいるかもしれません。Facebookは災厄に見舞われた2018年から学んでいるのだと。

しかし、それが幻想だったと世間が失望に変わったのは“ウォール・ストリート・ジャーナル”(以下”WSJ”)の一連の調査報道『The Facebook File』が提起した数多の”真実”でした。Facebookの元社員Frances Hauegen氏の内部資料のリークが元となったこの報道は隠蔽で重なった迷宮の中にいたミノタウロスを引きずり出しました。いっそ、姿を変えたくなるほどの窮地の土俵に。

衝撃的だった内容は以下のものです。Facebook社はWSJに対して、恣意的に切り取ったものだとして反発していました。一方で、アメリカ当局もこの問題に関心を示しており、調査していることも判明しました。

  • ユーザーの「怒り」が増幅されるアルゴリズムを採用
  • 特定できるデマとヘイトは5%以下
  • Instagramは若者にとって有害とFacebook自身が調査で把握している

他にも、大統領選後の対応など内部文書には事細かにFacebookの不都合な真実が載っています。あまりにも衝撃的だったため、Facebookは連日、アメリカ社会や世界から糾弾され続ける事態を招いてしまいました。ヘイトが集まるプラットフォームがヘイトに晒されるとは、なんの因果なのでしょうか。


Metaへの生まれ変わり

Facebookに対するヘイトが渦巻く時流の中、Facebookは社名変更を選択しました。直接の理由はOculus買収前後から始まるメタバース構築に社のリソースを集中的に投下するためだとされています。それもあり、社名は「Meta」となりました。また、FacebookはAppleやGoogleと違い、一段レイヤーが浅いという事情も見え隠れしています。FacebookアプリはAppleの指針次第でiPhoneのホーム画面から消えることもあり得ます。そのため、もっと深いレイヤーで地盤を作ろうとしているのです。

しかし、世界(特に各国政府)はFacebookがインフラを作ることには反対や懸念の意向を持っていると想像するのは容易でしょう。思えば、仮想通貨リブラの頓挫もそれが原因でした。従って、社名を変えてもなおFacebook(Meta)に対しての悪印象は簡単に払拭できません。そして、それはある種Facebookがやることなすこと全てに対し、疑念を持ちやすくなったことを意味します。


#02. 欧米メディアの視点

社会のFacebookに対する警戒と呼応するように、メディアもFacebookの戦略を懐疑的に報道、検証、考察するようになりました。それは“Facebook主導の”メタバースも例外ではありません。


「本質は何も変わらない」

実は現時点ではそれほど多くのメディアが旧Facebookのメタバース戦略に対して、深い考察をしているわけではありません。多くのメディアはMetaへの社名変更についての表層的な報道に留まっています。

カナダCBCはcritics say same old problems remain(批評家は古い問題はいまだに残っていると述べた)”と見出しを打ち、タバコ大手のフィリップ・モリスがアルトリアに変更したときになぞらえています。この表現は米WSJなど複数の米国メディアでも見られました。あくまで毀損したブランドのリブランディングの範囲内であるという見方です。

というのもMetaの発表したメタバース構想が抽象的に留まっていたことが原因です。もちろん”Horizon Home”など具体的な機能も発表されましたが、事前予想とそう違わず、議論され尽くしていたよくあるメタバースビジョンにどうしても思えてしまったのでしょう。Metaの考える深い構想まで読み取ることは難しかったのは致し方ありません。

しかし、Metaがメタバースについて抽象的に取り組んでいるわけではありません。同社はメタバースに対して年間100億ドル以上の投資を明言していますし、その後、Meta幹部がThe Vergeに対してMetaがこの意思決定に至ったマクロトレンド、コンセプト、事例、経緯についてある程度突っ込んだ内容を話しています。このことから、Zuckerbergと彼を支える幹部たちには明確にメタバースの行き着く先が想像できていると予測するのは容易いことでしょう。

The Vergeのインタビューは多くの内容に富んでおり、英語記事ではあるのですが一度読んでもらいたい内容ですが、長いのでここではそこまで触れません。一つ個人的に目についたものとしては以下の文章です。

One of the things that we do know we’re going to do, which I’m enthusiastic about, is give every individual who comes to the metaverse the tools to control their own experience.

https://www.theverge.com/22752986/meta-facebook-andrew-bosworth-interview-metaverse-vr-ar

メタバース内でプライバシーを尊重し、プライベートな会話や内容を共有するときに第三者からはどのように見えるかについて議論した時のものです。現実世界では、誰かと会話するとき(対面であれ電話であれ)、横にいれば盗み聞きできてしまいます。Metaの考える“没入型メタバース”では自分自身に関するメタバース内の同期体験を管理できるようにするつもりのようです。

これはたしかにプライバシーを考えると必要不可欠な機能である一方で、SNSのもたらした弊害をそのままなぞらえているような気がしなくもありません。もちろんMetaはこれ以上は話していませんが、場合によってはメタバース世界でもフィルターバブルが深刻な問題となってしまうかもしれません

英BBCは、Facebookの初期に投資を行なったRoger McNamee氏がイベントでFacebook should not be allowed to create a dystopian metaverse(Facebookにディストピア的メタバースを構築させるべきでない)”という考えを示したと報じています。


「Facebookのメタバース戦略は失敗する可能性が高い」

一方で、Metaについてメタバース戦略の面から懐疑的な議論を行なっているメディアもあります。例えば、”Inc.com”がそうです。”No One Is Talking About the Biggest Reason Facebook’s Metaverse Strategy Will Fail“という見出しをつけ、旧Facebookの武器に着目して論を展開しています。

Facebookの取り柄はユーザーエンゲージメントを維持するための情報収集、レコメンドアルゴリズムの構築と広告です。一方で、この能力はメタバースを構築する上で必要十分条件を満たす能力ではありません。もちろんメタバースにおいて何が必要になるか絶対的な答えは誰も持ち合わせていませんが、少なくともFacebookが苦手としているものがそこには4つ存在します。

まず一つ目はハードウェアの設計です。常に同期体験をもたらすハードウェアとしてOculusは十分ではないという見方です。次にソフトウェアについてです。Facebookが最初から構築したサービスは使い勝手が悪いことがほとんどです。(確かに、facebookアプリは度々使いづらくなっているなと個人的にも思います。)

3つ目はコンテンツのモデレートです。これに関してはおそらく異論は誰も出さないと思います。フェイクニュースやヘイトスピーチといったものを適切に排除できるアルゴリズムをまだFacebookは持っていません。ただし、これはどこのテクノロジー企業にも言えることですが。最後はユーザー体験の向上です。これは二つ目のソフトウェアとも関係しますが、年々Inastagramは機能過多になり、わかりづらくなっています。あるいは、ユーザーの自由性を奪っていることも多々あります。あまりにも中毒性のあるレコメンドなど。

もちろん何かを批判するのは簡単です。Metaにはこれらの批判を跳ね返すほどの莫大な投資金額と優れた人材を抱えています。一方で、会社の体質や習慣はなかなか変えることはできません。現にFacebook時代のプロダクトはユーザーの行動をどれほど支配できるかという中央集権的な思想が見え隠れしていました。ですが、メタバースではそうはいきません。真にユーザーフレンドリーなメタバースの構築を目指すならば、社名変更以上の大きな転換が必要となります。


#03. メタバース世界の行方

『Pokémon GO』などを開発している米Niantic社はMetaのような巨大テック企業や有力者の考えるメタバースについて「ディストピアの悪夢」だとブログで述べています。

社会として、SFヒーローが仮想の世界に逃避するような世界にならないことを願うことも、そうならないように努力することもできます。Nianticは後者を選びます。私たちは、テクノロジーを使って拡張現実の「現実」に寄り添うことができると信じています。私たち自身を含めたすべての人々が立ち上がり、外を歩き、周囲の人々や世界とつながることを奨励します。これは、人間が生まれながらにして行っていることであり、200万年に及ぶ人類の進化の結果であり、その結果、私たちを最も幸せにしてくれることだと信じるからです。テクノロジーは、人間の基本的な経験をより良くするために使われるべきであり、それらに取って代わるものではありません。

https://nianticlabs.com/blog/real-world-metaverse/

バーチャルな世界はより良い現実を作るための補助であるべきで、それが取って代わるものであってはいけないということを主張しています。自分自身に都合の良い世界に引きこもるのか、新しい体験との出会いにワクワクできる開かれた世界に向かうのか。人間本来の生活を改変してしまうか延長上にあるのか。どちらの道に進むのかは未来に生きる我々しか知り得ません。

SNSというコミュニケーションツールはFacebookの例を見るように、ユートピアとディストピアを同時にもたらしました。誰かにとって都合の良い世界は分断された世界の中で成り立っているに過ぎません。

メタバースは人類にとって禁断の果実なのかもしれません。新たな力と理想を得る代わりに、我々はエデンから追い出される悲劇を迎えるかもしれません。しかし、物語はそこで完結しません。『失楽園』において、人間がその罪を自覚して生きていったように、我々が選んだ世界を絶えず生きていかなくてはなりません。

どちらの世界も魅力的な飴と毒を持つが故に、選んで飛び込むのは我々自身の意思に委ねられます。あなたはどちらの”メタバース”を選びますか?

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