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21世紀のヒポクラテス:生成AIによる信頼と安全の医療革命

2024.11.1

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執筆者:川野孝誠(@_takamasaaaaa_


「純粋と神聖をもってわが生涯を貫き、わが術を行う」

古代ギリシャの医師ヒポクラテスは、医師の職業倫理として有名な「ヒポクラテスの誓い」を後世に残しました。

その中には、「患者の利益を最優先にし、いかなる有害な行為も行わないことを誓う」という厳粛な言葉が刻まれています。彼が生きた時代から数千年が経過した今でも、この誓いは医療従事者にとって普遍の信条であり続けています。

その崇高な理念を現代にまで受け継ぎ、医療の未来を変えようとする存在があります。それが、偉大な古代ギリシャの医師の名に由来するHippocratic AIというスタートアップです。彼らは「誰も傷付けない」という医療倫理をコアな価値とし、ヒポクラテスが目指した「誠実で透明な医療」をAIによって実現することに挑んでいるのです。

まるでかつて古代ギリシャの医師が患者の声に耳を傾け、信頼関係を築いたように、このスタートアップもまた同様のアプローチを追求しています。「AIに感情は理解できない」、そんな風に言われるAIが私たちの生活に浸み込み始めているこのAI時代において、患者と信頼関係を構築し、医療現場に安心と安全をもたらすことを目指す「現代のヒポクラテス」について今回は見ていきます。

「生成AI起業のヒント」では、ANOBAKAが注目している海外の生成AIスタートアップを取り上げて、生成AIの活用方法を分析・解説していきます。
生成AI領域で起業を考えられている方にとって事業のヒントとなれば幸いです。

#1 現代のヒポクラテスはこうして生まれた

気候変動やエネルギー資源の枯渇、所得格差と社会的不平等、紛争と難民問題。

現在私たちが向き合わなければならない社会課題は数多くあります。一朝一夕で解決できる課題ではなく、もしかすると1つや2つのイノベーションでも足りないかもしれない ——

世界中でその名を馳せる著名なVC・General Catalystは、そうした複雑かつ巨大な課題に対して、野心的な起業家、業界のプロフェッショナル、経験豊富な投資家の三位一体で解決を目指す挑戦的な取り組みを行っています。

社会的不平等による医療アクセスの格差のように「医療」も彼らが注力している重要なテーマの1つです。これまでにも、General Catalystは下記のような先進的なヘルスケア領域のスタートアップたちをゼロから生み出してきました。

そして2023年5月、このラインナップに新しく加わったのがHippocratic AIです。General Catalyst同様に世界で最も著名なVCの1つであるAndreessen Horowitzと共に、連続起業家やAI、医療領域のスペシャリストらによるドリームチームが築き上げられ、医療分野に圧倒的なインパクトをもたらすべく新たな一歩が踏み出されました。

#2 革新的な医療エージェント

「責任あるAI(Resoponsible AI)」という言葉を知っているでしょうか。これは、公平性や透明性、プライバシー、説明責任などを確保し、倫理的な方法でAIを開発するアプローチを指す言葉です。

「ヒポクラテスの誓い」が医療従事者に対する倫理指針であるように、AIと共にこれからの未来を構築していく全ての関係者に対する倫理指針として「責任あるAI」は重要な意味を持っています。

AI社会である現代におけるヒポクラテスを目指しているHippocratic AIは、この2つの倫理指針を融合させ、世界で初めて“安全性”をコアバリューとした医療系AIスタートアップとして確かな存在感を放ち始めています。

事業としては、①医療分野向けに特化してファインチューニングされたLLM、そして②そのLLM上に構築された音声対応のタスク特化型AIエージェントをそれぞれ独自で開発・提供しています。上述したように、医療における安全性を最も重要視しているからこそ、OpenAIによるGPT-4oやGoogleによるMedLM(医療業界向けのLLM)のような既成のLLMを利用するのではなく、基盤モデルから自分たちで工夫を凝らして構築し、最大限の安全性を確保できるように努めています。

#2.1 北極星に準えた独自の言語モデル

Hippocratic AIのLLMは、安全性を絶対的なコアコンピタンスとして開発されています。かつての航海者や旅人にとって、北極星が絶対的な道しるべであったように、現代の医療における絶対的な道しるべになるという意思を込めて「Polaris(北極星)」と名付けられています。

Polarisの革新性の鍵は、独自の「コンステレーション・アーキテクチャ」にあります。複数のモデルを連携させて一体的に運用するシステムのことをコンステレーション・アーキテクチャと呼ぶのですが、Polarisは主要な対話エージェントと複数の専門エージェントが協調して動作する形で構成されています。「プライマリーエージェント」が患者との自然な会話を主導し、共感や信頼関係の構築を担う一方で、「サポートエージェント」が薬物管理や診断サポートなど専門分野における特定のタスクを遂行します。このような仕組みにより、患者に対してより高度で安全な医療支援を提供し、ハルシネーションの軽減や正確なファクトチェックも実現することができています。

上記は構造の話ですが、当然ながらモデルの精度そのものにおいても、現場で十分に認められる水準を達成するために手の込んだテストとトレーニングが行われています。

Polarisは米国医師国家試験(USMLE)やNCLEX-RN(看護師資格試験)、アメリカ泌尿器科学会の試験、登録栄養士試験など実に114種類もの医療資格試験を受けているだけでなく、看護計画や医療規制文書、医療マニュアルなどインターネット上には公開されていないようなデータも用いられています。そして、このようにしてトレーニングされたPolarisによって生成された回答を、今度は医療の現場で必要な水準の精度や判断力に達しているかどうか、医療専門家や医療従事者たちからの直接的なフィードバックによる強化学習も行われています。

資格試験を通じた教科書的な”正解”の学習に加えて、現場で働く人たちからのより実践的な”正解”の2パターンを学習することで、モデルの質を大きく向上させることができているのです。

#2.2 AIエージェントへの展開

徹底的に安全性を追求してトレーニングされたPolarisを携えて、24年、Hippocratic AIは医療用AIエージェントとプラットフォームを発表しました。

Hippocratic AIの開発する医療用AIエージェントは、音声対応のタスク特化型であり、患者のフォローアップや書類対応など、あくまで非診断の患者対応タスクを行うアプリケーションとして現在は開発されているのが大きな特徴です。

そして、これらのAIエージェントたちは、Hippocratic AIのホームページを通じて”雇用する”ことができ、24年10月時点では、19の専門分野から総勢123人のAIエージェントが公開されています。また、仮に術前準備に関するAIエージェントを雇用するにしても、人工膝関節全置換術、大腸内視鏡検査、扁桃摘出術、整形外科手術、心臓カテーテル治療などエージェントごとに得意とする業務が細かく定められており、医療機関などは必要な役割のエージェントをピンポイントで雇用することができます。

Hippocratic AIが目指す理想的な世界では、このAIエージェントたちによって患者の「ノンコンプライアンス問題」が解決し、再入院率も低下することで、看護師は本当にケアを必要としている患者のフォローアップに十分な時間を費やすことができます。

患者のノンコンプライアンス問題とは、医療従事者が何十年も苦労して戦ってきた深刻な課題の1つで、患者が医師や看護師からの服薬指導を守らないことを意味します。

人間の看護師は時間や人手などのリソースが限られているため、全ての患者を細かくフォローアップし続けることは現実的に不可能です。結果的に「病気が少し改善した」「薬の内容がよく分かっているので加減する」など自己判断で服薬を辞める患者が続出し、病気が再発・悪化することで再び入院、看護師のリソースを圧迫すると同時に、うんざりした看護師は燃え尽き症候群を発症するという大きな負のスパイラルが発生していました。

その一方、AIエージェントであれば無限に対応可能で、人材不足に代表されるような上記の一連の課題を全て解決することができます。現在はまだまだ対応可能な職種やタスクは限定的ですが(それでも十分に多いと思いますが)、これからどんどん職種は追加されていくことで選択肢の幅は広がると思いますし、実際に現場にエージェントたちが出るようになったら、学習ループが回ることで個々のエージェントの質も高まっていくと思いますので、ここから加速度的に成長していくことは間違い無いでしょう。

#3 守破離の”守”を徹底せよという教え

プレシード・シード領域に特化して投資活動を行うVCで働く身としては、信頼に足る実績が乏しいフェーズだからこそ、ファウンダーが足元で描いている戦略や将来図と照らし合わせながら「その領域における勝ち筋は何か?」を常に自問自答するようにしています。その際には、この業界において顧客獲得に最も効果的な訴求は何かという観点から考えるのですが、医療分野においては、その1つとして患者のエンゲージメントは有力であるという示唆を得ることができる好事例でした。

医療業界もまた人材不足が叫ばれる業界の1つですが、人材不足を引き起こしている真の課題は患者の心理的安全性を担保できていない現行の医療の質にあると見抜き、安全・安心の医療提供というコアコンピタンスとAIによって”ヒポクラテス的”医療を提供する。単に業務効率化や生産性向上を叶える直接的なソリューションではなし得ない、間接的に人材不足問題の緩和にもアプローチすることができる非常に美しい戦略だと思います。

このような見方をすると、医療系スタートアップでありながら医療診断領域のようなゴリゴリのDeepTechではなく、非診断領域から切り込むという山の登り方をするスタートアップに5億ドルもの評価額がつくのも頷けます。

Hippocratic AIのような業界特化型のLLMやその上に構築されたAIエージェントは最近注目を集めてこそいるものの、そのビジネスモデルやアプローチ自体に革新性はないと理解しています。Hippocratic AIのケースから学べることは、真の業界構造を見抜いた上で、解決すべき最大のペインはどこの誰が抱えているものなのか、それをどのようなコアコンピタンスで解決すると最も大きなインパクトが生まれるのか、というビジネスにおける基礎中の基礎だったのかもしれません。

企業情報

  • 会社名:Hippocratic AI
  • 本社所在地:パロアルト(アメリカ)
  • 最新の調達ラウンド:Series A
  • 資金調達総額:1.4億ドル
  • 主な株主:a16z, General Catalyst, Universal Health Services, NVentures, PremjiInvest
  • カテゴリー:医療、AIエージェント
  • 公式ホームページ:https://www.hippocraticai.com/

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