INSIGHT

インサイト

シリコンバレー最悪のスキャンダル”セラノス事件”とその教訓

2021.4.27

RSS

著者: ANOBAKA たかはしゆうじ( @jyouj__ )



シリコンバレーの歴史は称賛とスキャンダルで形作られてきました。


巨大なSNS帝国を築き上げたFacebookのデータ流出問題。Googleの素晴らしきテクノロジーの影につきまとう軍事利用への疑惑。Uberの画期的な交通プラットフォームと創業者の素行不良。スティーブ・ジョブズもイーロン・マスクもピーター・ティールも、スタートアップの英雄たちは畏怖と尊敬だけでなく、世間からの疑念を常に集めていました

移民も女性も黒人も社会的マイノリティーであろうと、誰もが全てを手に入れることのできるアメリカンドリームの世界は寛容です。富、名声、世界を変えられる権利……。だが、同時にその実現のため、倫理観の欠如が見られる行動も現れます。

ジョブス以来、カリスマ性と虚勢によって不可能なことを実現する「現実歪曲空間」がシリコンバレーでは美化されてきました。実際にそのような魅力と中毒性を持った人物は稀にしか存在しないにもかかわらず。


そんなシリコンバレーで起きた代表的なスキャンダルが2015年の「セラノス事件」です。セラノスの失墜がシリコンバレー、ひいてはテック系スタートアップにもたらした教訓は大きいものでした。


#1. セラノス事件 – 虚構の三日天下

セラノス事件の詳しい内幕はBAD BLOOD シリコンバレー最大の捏造スキャンダル 全真相に描かれているので、ここでは事件の概要について簡潔にまとめます。

画期的だったバイオベンチャー

セラノスの没落を描いたドキュメンタリーは、誰かの不幸をむさぼる“快感”に満ちていた:映画レヴュー | WIRED.jp
エリザベス・ホームズ(WIRED より)

エリザベス・ホームズがセラノスを立ち上げたのは2003年のことでした。当時、彼女は19歳でスタンフォード大学を中退したばかりでした。

セラノスは血液一滴であらゆる病気を発見できる血液検査スタートアップです。200以上の病気がわかるとされていました。セラノスはa world in which no one would have to say goodbye to a loved one too soon.(誰も愛する人に早過ぎる別れを言わなくていい世界)“というホームズのビジョンのもと拡大していきました。

セラノスの取締役には、ニクソン政権期の国務長官ヘンリー・キッシンジャー、レーガン政権期の国務長官ジョージ・シュルツ、クリントン政権期の国防長官ウィリアム・ペリーなど、アメリカ政界の大物たちが揃っていました。みな、ホームズのカリスマ性に心酔していました。


セラノスの開発した検査器はホームズのドラスティックなプレゼンによって、大企業や投資家を引き寄せました。指先の少量の血を採取して、分析器を用いると、200以上の病気の検査結果がすぐに判明する技術を開発したと宣言していました。

このふれこみで、アメリカのドラッグストアチェーン大手の「ウォルグリーン」から資金を得たセラノスはウォルグリーンの店舗で検査事業を開始しました。最盛期には企業価値1兆円を超す評価をされていました。


ホームズはスティーブ・ジョブスの再来と持て囃され、『Forbes』などの雑誌で特集を組まれていました。約40億ドルにも上る資産を築き上げ、アメリカ社会で最も成功した女性起業家となったのです。

暴走したカリスマ女王

しかし、セラノスの全ては虚構でした。実際にそのような技術を開発できたわけではありません。少量の血液で200以上の病気の検査を行うことはできません。それぞれに必要な血液量は違うのです。そのため、一部の検査をシーメンス製の分析器を使って検査していました。しかし、それでも不正確な検査結果を出しています。なんと病気があるのに正常だと結果を出すこともあったようです。患者の命を危険に晒していたのです。

セラノスの武器は技術力でなくペテン師の才能、セラノスの顧客は患者ではなく金を出してくれる投資家だったのです。


しかし、セラノスはホームズの絶対王政によって情報を管理していました。それぞれの部署にアップルを彷彿とさせる秘密主義を徹底させ、退職していった社員には秘密保持契約を結ばせ、口を封じていました。

投資家たちに対しても秘密主義を貫いていました。それでも、シリコンバレーのVCはホームズとセラノスの耳障りの良いストーリーに酔いしれ、称賛を送りました。しかし、実はシリコンバレーの名門VCの多くはセラノスを称賛こそするが、投資の実行はしていません。Google VenturesのようにDDを行い、セラノスに共鳴しなかったVCも多々あります。セラノスの資金は提携企業、投資信託、小規模のVCから供給されていたのです。


さて、ホームズ独裁を支えたのは彼女のパートナーでもあったラメッシュ・サニー・バルワニでした。彼は2009年にCOOとして就任し、ホームズの専制が行えるような空気、風潮を作り出していきました。

ホームズとサニーが作り出したセラノス帝国は時代の寵児として繁栄し、称賛のメッキは剥がれないかのように思われました。

崩れた玉座

しかし、2015年に事態は急変します。セラノスの嘘をウォール・ストリート・ジャーナル(以下「WSJ」)の記者ジョン・キャリールーが見抜きました。彼はセラノスの技術に懐疑心を持ち、セラノスを退職した元社員に接触していきました。

そして、しっかりと証言や裏取りをした上で、WSJはHot Startup Theranos Has Struggled With Its Blood-Test Technologyという記事を出しました。この記事を境にセラノスは崩壊していきます。

セラノス側の多くの妨害工作にもかかわらず、WSJに続いて他のメディアも記事を出していきました。ホームズの純資産は0とされてしまいます。2016年にセラノスは臨床検査の免許を剥奪され、社員の解雇やラボの閉鎖もあり、2018年に解散しました。

同時期にホームズとサニーは起訴されました。裁判は2020年夏に開かれ、有罪になった場合は懲役20年に処されるとされています。


煌びやかな創業者、夢を魅せるプレゼン、称賛する投資家とメディア、政界の大物に支えられた取締役会……。これら全てが一瞬にして崩れ去ったのです。嘘で塗り固められた伏魔殿の中身は驚くほど空っぽでした。

#2. 教訓と爪痕 – ペテン師の罪と罰

セラノスの事件から私たちは多くのことを学ばなければいけません。そうでなければ、テクノロジーに対する不信を人々から払拭することはできないからです。

行きすぎた秘密主義

セラノスの不気味さは単に行きすぎた秘密主義によるものです。ホームズはAppleを作ることを目指して、代表的な文化である秘密主義を取り入れました。外部からセラノスの技術がどうなっているのか秘匿され、辞めた社員にも口止めすることで数年にも渡って、誰も実態を把握できていなかったのです。セラノスについて得られる情報はホームズの口からだけです。

それでもセラノスに対して、投資家や大企業が投資をし、メディアが称賛を送ったのはそれを良しとするシリコンバレーの文化があったからなのです。誰もが彼女ホームズをスティーブ・ジョブズに重ね、そのカリスマ性を信奉していました。

もちろん秘密主義自体は悪いことではありません。実際、テクノロジーやリーガル面に関して外部に公開したくないものはスタートアップなら多かれ少なかれあるでしょう。その結果、Appleのような時代を変える企業を輩出することができます。

しかし、それが嘘を隠すものであってはいけないのです。この文化はホームズのような人間が脚光を浴びるように演出するのにあまりにも適していました。ビジネスにおいて、性善説は成り立たないということでしょうか。


実際、セラノス以降もアメリカではデタラメな技術をあたかもできたように詐称しているスタートアップがいくつも出ています。テスラのライバルとされているEVスタートアップ「Nikola Mortor」もその一つです。同社は2020年にGMとの提携を発表した後、投資家に技術の虚偽性を指摘されました。ただし、この事件はまだ疑惑の段階なので、現在、証券取引委員会と司法省が調査を開始しています。

私たちは創業者のカリスマ性とその口から出る美辞麗句についつい騙されそうになってしまいます。彼ら彼女らの語る世界は楽園のように錯覚してしまうからです。しかし、投資家こそカリスマ性に惑わされず真贋を見抜かなければなりません。

眠りの小五郎の活躍に胸を躍らせるのではなく、裏側で事件を解決している江戸川コナンの存在にまで気づくことができるのかどうかが試されているのです。

株主は顧客ではない

セラノスの顧客は決して患者ではありませんでした。医療の分野で革新をもたらすバイオスタートアップであるにもかかわらず。むしろ、虚偽の検査結果によって、患者を危険に晒していました。

ホームズが見ていたのは投資家です。ホームズ持ち前のスピーチ力と演出力で、セラノスはシリコンバレーのマネーゲームにおいて勝利を手に入れたのです。これは資金調達至上主義の文化によるものかもしれません。

『Forbes』や『Techcrunch』で大規模調達が大々的に報じられて、ユニコーンの誕生に拍手喝采な世界がよりホームズの視線を狂わせてしまったのでしょうか。


そのスタートアップが本当に実現したいものは何なのか?いつの間にか目線が投資家に向いていないか?お金集めが目的になっていないか?

資金を獲得するのは手段でしかありません。それを目的にして目の前のターゲットを見誤ったら、セラノスのように虚偽で固められたブラックボックスになってしまいます。

真摯にコツコツ泥臭く検証して、プロダクトを磨くこと。軸をぶれさせないで突き抜けること。当たり前かもしれませんが、セラノスの件からこれらの重要性が改めて分かります。

メディアと投資家の罪

一番悪いのはもちろんセラノスですが、メディアと投資家に関しても責任の一端はあります

WSJの報道が出るまで、ホームズの言い分を疑いもせず、セラノスを手放しで褒め続けたメディア。成功者としてのホームズの虚像を作り出してしまったことについては反省しなくてはいけません。あるいは、凄腕のジャーナリストが盲目になるほどホームズの魅力は”本物”だったのでしょうか。


投資家に関しても似たようなことが言えます。このビッグウェーブに乗り遅れてはいけないと皆が同じ会社に投資するという事例がシリコンバレーにはいくつかあります。あの人が投資してくれているならきっと成功するだろうと。誰もが彼女について評価しているのだから、間違い無いだろうと。結果的に巨額の損失を出してしまいました。


もちろんセラノス側が全てを開示しているわけではないので、メディアも投資家も騙されてしまうのは仕方ないかもしれません。彼らも被害者です。

しかし、きちんと皆が一列に並び、称賛を送るのは不可思議なことです。健全な批判や疑問こそが企業を成長させるのではないでしょうか。




シリコンバレーは多くのスキャンダルを経験しました。倫理観のおかしなニュースが幾度も駆け巡ったのも事実です。しかし、同時にそれを教訓として発展してきたのもまた事実です。また、シリコンバレーは今や医療や自動運転車など人の命を左右する領域にまで拡大しています。以前までの倫理観では世間は納得してくれないでしょう。

この事件はいまだ記憶に新しい出来事です。スタートアップとそれを取り巻くエコシステムにとって、セラノス事件から学べるところは学び、成長の一つの要因としたいものです。


The night is long that never finds the day.



参考




“ANOBAKA INSIGHT”の記事を忘れずにチェックしたい人は下のフォームからANOBAKAコミュニティに参加してね!



ANOBAKAコミュニティに参加しませんか?

ANOBAKAから最新スタートアップ情報や
イベント情報をタイムリーにお届けします。