著者: たかはしゆうじ( @jyouj__ )
祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。
おごれる人も久しからず、ただ春の夜の夢の如し。
たけき者も遂には滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
『平家物語』
どんなに栄えたものでも必ず衰えていきます。この世は常に移り変わり、同じものが常にそこにあるわけではありません。無情とも呼べるこの世界で、成功を期待されたものが必ず成功するとは限りません。はるかに価値が高かったものが将来でも価値があるという保証もありません。
人類はその歴史の中で、滅びゆくものから幾度となく教訓を見出してきました。大局的な政治史を見ても、中国の王朝は次第に強化されていき、西欧では王政から民主政になりました。初期の資本主義の失敗はソ連型社会主義を産み、修正資本主義に引き継がれていきました。
かたや、ミクロな企業の失敗からも我々は同じように幾度となく学んできました。エンロン、東芝、セラノス、ワイヤーカード……。数多の企業が栄え、そして失墜していき、また新しい新しい芽が出てきました。
Quibiもそうです。多くの投資家や消費者、そして自分たち自身にも春夜の夢を見せていたにもかかわらず、一年も経たずにサービスを終了しました。原因は何だったのか?そして、我々は何を学べるのか?
#1. 華々しい超新星の誕生
2018年8月、The Walt Disney Studiosの元会長ジェフリー・カッツェンバーグ氏が“NewTV”という会社を設立しました。ヒューレットパッカード出身のメグ・ホイットマン氏がCEOとしてこの会社を率いていました。会社はすぐに”Quibi”に社名変更します。
Quibiはモバイルデバイスに最適化した新世代の動画配信サービスを提供する構想でした。CES 2020で発表されたサービス像は「最高品質のハリウッドスタイルの作品を10分以内の“bite-sized”(一口サイズ)のフォーマットでスマートフォン向けに提供する」というものでした。
同社の保有する技術である“Turnstyle”が重要な役割を放つとして期待を向けられていました。スマホを縦に向けても横に向けても自然な状態で表示され、見ることができるというものです。YouTubeのような横型にもTikTokの縦型にも表示に合わせて滑らかに遷移します。
また、コンテンツ制作にも力を入れていました。10億ドル以上にものぼる多額の費用をかけて、ハリウッドで活躍するプロの監督や俳優を使ったオリジナル作品を準備していました。スマホネイティブ世代の習慣に合わせて10分以内の短編シリーズものがメインとなることも告知されていました。
Quibiの構想はハリウッドスタジオやメディア関係企業から好意的に受け止められ、多額の資金を得ることができ、瞬く間にユニコーンのステイタスに上り詰めました。Quibiには多くのエンターテイメント関連企業が投資を行なっています。
以下、投資家リスト(順不同)。
- 21世紀フォックス
- Time Warner
- The Walt Disney Company
- ソニー・ピクチャーズ・エンターテイメント
- ワーナー・ブラザーズ
- Entertainment One(カナダ所在)
- Liberty Global(ボーダフォン子会社)
- Viacom
- アリババ・グループ
- MGM studios(現Amazon子会社)
- Greenspring Associates
- NBCユニバーサル
- WndrCo
- Madrone Capital Partners
- BBC studios
このように多くのステークホルダーを株主として巻き込むことに成功したQuibiは名実ともに「次世代のNetflix」として成功すると目されていました。広告枠も全て売り切ることに成功し、2020年4月に華々しく”Quibi”はリリースされました。
#2. 冬を越せなかった一角獣
Quibiの初動は在宅需要の時期と重なって、好調でした。ダウンロード数は一週間で170万回に達し、App StoreやGoogle Playで上位に位置していました。潮目が変わったのはリリースから一週間後でした。アプリストアでの順位はどんどん下がっていき、アクティブユーザー数も想定ほど集まりませんでした。
そこで、同社はテコ入れをはじめました。SNSでのコンテンツ共有機能、テレビでもコンテンツを再生できるようにしたり、広告付きバージョンのサブスク料金を引き下げました。しかし、それでも思ったほどのユーザーは集まりませんでした。そもそもPMFしていなかったのです。
そして、Quibiは10月にサービスを終了することを発表しました。リリースから半年後の出来事でした。次の春を超えることはできず、夢のように消えていきました。その後、コンテンツは”Roku”に売却されました。Rokuのプラットフォーム上でいくつかのQuibiの作品が閲覧できるとされています。
Quibiは豪華な投資家、濃厚なコンテンツ、そして共感してくれる広告主の獲得には成功しました。しかし、たった一つにして全てであるユーザーの支持だけは得ることができませんでした。これがQuibiの生涯を短編物語たらしめてしまった要因なのです。
#3. 教訓の蹄
さて、Quibiはなぜ失敗してしまったのでしょうか。スタートアップの失敗としてよく議題にあげられる「タイミング」はここでは当てはまりません。むしろ、Quibiの参入したタイミングは最適でした。2020年のコロナ・パンデミックの影響で、人々のインターネット滞在時間は圧倒的に増えました。実際、TikTokやNetflixは急速にユーザー数を増やすことに成功しました。
Quibiが崩壊したのは他に理由があったのです。
市場が存在しなかった
事業を始める際、よくポジショニングマップを構築します。自分たちがどの市場を取るのか、競合との関係を考えながら空いているパイを取ろうとします。しかし、ここで見落としてはいけないのが市場はx-y軸だけで構成されていないということです。つまり、三次元のz軸を考える必要があります。z軸は層の厚さを表しており、たとえ競合のいない(x-y軸で見れば、)空いている市場を取ったとしても、そこに課金してくれるような熱狂的な消費者が存在しないのならば、市場としては存在しないのです。
Quibiはまさにこれでした。Quibiが狙った市場は”有料で”、”クオリティの高い”、”短尺動画”市場でした。しかし、そんな市場は存在しませんでした。有料であれば、問答無用でNetflixやDisney+と全面戦争をしなければいけなくなります。動画の長さやモバイルライクなUIなど大した差別化になりませんでした。
一方で、短尺動画においてはTikTokが待ち受けています。消費者からすれば、無料で満足しているにもかかわらず、なぜ有料でQuibiを選択しなければいけないか、という意識があります。それを払拭することができませんでした。
Quibiの狙った市場はたしかに空いていました。しかし、そこにはニーズが存在していませんでした。たとえ、ニッチな市場であっても、熱狂的なニーズがあればサービスとして成り立ちます。問題なのは「ニッチでニーズのない市場」なのです。
仮定のまま物事を進めた
これはよくある誤謬です。起業家が経験と知識を信じて、「こうすれば、こうなるだろう」という仮定のままサービスをリリースしてしまうというものです。絶対に忘れてはいけないのが、スタートアップは常に試行錯誤して事業を進めていく、というものです。間違った仮定を複数持ったまま事業を推進していくことはどこに問題が隠れているかを分かりづらくしてしまい、リファクタリングを実行不可能にしてしまいます。
Quibiの仮定はことごとく間違っていました。そして、それをサービスを始めるまで彼らは気づくことができなかったのです。10分間の隙間時間を潰せるコンテンツを求めているのか?ビッグネームが登場してくるコンテンツを求めているのか?決してそんなことはありませんでした。
まず、Quibiは既存のプラットフォーム(YouTubeなど)を用いて、テストするべきでした。夢物語が夢物語のまま肥大化しないように、現実のスパイスを少し添えることを考えるべきでした。本当にユーザーが何を求めているのか?それを絶え間なく実験して見つけることが必要だったのです。
Quibiの失敗はどのスタートアップでも起こり得るものです。たとえどんなに多額の資金を調達した企業でもよく言われているような初歩的な間違いをしてしまうというところにビジネスの難しさがあります。
どんなに華々しくデビューしようとも、どんなに期待を集められようとも、どんなに時代の寵児として持て囃されようとも、明日どうなっているかは誰にも分かりません。冬を越して、次の春を迎えることができるかはあらゆる失敗から学び、試行錯誤してきたかに依存するのです。